見えない、何も見えない。
これが、俺の求めた現実(リアル)―?

"Don't say anything."

呻き声、どよめき、サイレンの音―。
俺の計画通りだった。
それなのに、どうして俺は今ここで倒れ込んでいるんだ?
嬉しさが込み上げてくる筈なのに、絶望ばかりが脳内を支配して呼吸を浅くしていく。
「…花宮?」
浅い呼吸を繰り返しながら倒れている俺の異変に気付いたチームメイト達が近付いてくる。
嫌だ、寄るな、気持ち悪い―!!
「あああああっ、やめろ、近寄るな…!!」
人のざわめきが、視線が、感触が、俺の五感全てを逆撫でするようで、叫びにも似た声が洩れる。
どうして、どうして―?
意味の分からない吐き気と焦燥感で目の前が真っ暗に消え失せていくのを感じながら、俺は意識を手放した。

次に意識を取り戻した時、俺は白い部屋の中にいた。
ここは一体どこなのだろうと身体を捩ろうとすると、ジャラ、と嫌な金属音が響いた。
―拘束具、ねぇ…。
どうやら俺はかなり錯乱していたらしい。
その後の医師の話によれば、競技場で奇声を発しながら倒れた俺はそのまま病院へ運ばれたは良いものの、暴れる等の奇行が目立った為念のための措置が取られた、らしい。
それが1週間前の話だというのもにわかに信じ難かった。
―俺は何をしていたんだろう。
身体中についた切り傷や擦り傷をボンヤリ眺めながら、空白の時間を取り戻そうとしてみるが、一向に効果は見られず、考える事自体を諦めてしまった。
その晩に一度だけ、あの大きな背中が苦痛に悶える夢を見た気がした。

「そろそろ、気分転換に院内を散歩してみるのはどうだろうか?」
何度目かの検診に来た医師にそう告げられたのは、それから5日経った穏やかな昼下がりだった。
久しぶりの外出はさぞ気持ちが良いだろう、と看護師は笑っていたけれど、俺は酷く気分が悪くて笑い返す事すら出来なかった。
院内にある中庭はリラクゼーション施設も兼ねているのか、真冬のこの時期にも関わらず常緑樹が青々と茂っていて、それが余計に俺を倒錯させた。
穏やかに水が流れる噴水の側に腰掛け、水面に映ったその顔は悪魔の様に見える。
あの日、あの時。
俺は一人の人間を壊した。
それは俺にとって当たり前の行動でありながら、尋常では無い感情だった。
―俺以外のものなんて、見えなくなれば良いんだ。
歪んだ愛情だと自分でも気付いていた。
けれど、この衝動だけは抑える事が出来なかったのだ。
幸せそうに微笑むあの瞳が、俺を見る事はないのだと知ったあの時から。
計画は恐ろしい程、順調に進んでいた。
感情の起伏が激しい人間のコントロールなんて、造作も無い事で。
―これで、俺は救われる。
あの瞬間までは確かにそう信じていたのに。
それが崩れていったのは、あの瞳がこちらを向いた直後であった。
―アイツは、木吉は気付いていた。
自分がどういう運命を辿ろうとしているかも、俺の歪んだ愛情すらも。
そして彼は倒れ際に呟いたのだ。
―「ごめん」、と。
「ああああああ…っ!!」
何故、俺は気付かなかったのだろう。
彼の瞳はとっくのとうに俺を見つめていたというのに。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい…っ」
彼はもう二度と、俺を視る事すら出来ない。
彼の幸せに笑むあの瞳は、もう無いのだ―。
「好きだよ、木吉…っ、愛してた…っ」
誰よりも、何よりも、彼を愛していた。
それすらも俺は告げる事すら出来なかった。
穏やかな水面が歪んで、静かに俺が消えていくのだけが見えた。

Fin.