だって、お店に書いてあったんですもん。

 夏休みに入ったからとはいえ、毎日のように部活はある訳で。
降旗なんかが「休んでる気がしねぇー……」とかぼやいていたけど、俺にとってはそれなりに楽しいし(確かに部活のメニューをこなすのは大変だけど)、夏休みの課題をセンパイやタメの奴らに教えて貰えるから、結構好都合だと思ってる。
今日も、そんな部活帰り。いつの間にか習慣になっていたマジバでの勉強会。今日は黒子と読書感想文を片付ける事にした。黒子は家に山のように本があるらしく、俺にも読みやすような本を何冊かチョイスしてくれた。一応、それらの中から一番気に入ったのを読んではみたのだが……感想、と言われると「ここが楽しかった」とか、「ここが良かった」とかしか出ない訳で。さっきから、黒子にバシバシと突っ込まれている。
「……火神君、もう少しここを具体的に」
「具体的に……って、これ以上何を書けば良いんだよ……!!」
赤ペンでチェックされていく原稿用紙を俺はうんざりと見つめながら、テーブルに肘をつく。黒子の書く字は、俺のものよりも細くて、キレイだと思う。大人になったら、国語の先生でもやれば良いんじゃないかと思う。
「……から、ここの部分で言えば、もし火神君がその場面にいるとしたらって考えるんです。そうすれば、簡単だと……火神君?」
「どうやらボンヤリしていたらしい。怪訝そうな瞳でこちらを覗ってくるので、適当に相槌を打った。すると、黒子はまた俺の原稿用紙にメモを貼り付けた。
「一回言ったくらいじゃ、忘れたとか言いそうですからね」
「……悪かったな」
ジュッ、と空になったコーラの紙コップを置いて、俺はまた原稿用紙に文章を書いていく。読書感想文なんて、人の書いたものにケチをつけるようなものじゃないか。何だか意味の無い作業のように思えてきて、俺のペンは止まる。さらさらと書き進めていく黒子に、俺は頬杖をついて、唇を尖らせる。
「そんなに書けんなら、もう俺の分も書けよ……」
「それじゃ課題の意味がありません。それに……僕が書いたら、確実に先生にバレると思いますよ」
それは暗に俺の日本語の問題を指しているらしい。俺はますます機嫌が悪くなり、一つだけ残っていたハンバーガーを頬張った。
「まあ、キチンと文字数を達したものを提出すれば、火神君の頑張りは伝わりますよ。……それを食べ終わったら、今日は帰りましょうか」
「んー」
黒子の方もキリが良いようで、シャーペンをケースにしまい込んでいる。
俺も片手でハンバーガーを頬張りながら、赤ペンだらけの原稿用紙とペンケースを鞄に放り込んだ。嫌だ、嫌だと言いながら課題もそれなりに進んだし、外もだいぶ暗くなっていた。
「今日、火神君の家に泊まっても良いですか」
トレイを持つ手がギクリと揺れ、カップの中の氷が音を立てる。
「準備もしてきましたし、明日も朝早いんで……。お邪魔しても良いでしょうか?」
「あー……別に良いけど」
狼狽えた事を必死に隠して、俺はトレイを置いて、先を歩く。
そういえば、家にも黒子のものが増えた気がする。電車で高校に通学している黒子からすれば、家に帰るよりも俺の家に泊まった方が朝早くから始まる練習に支障が無い、というのもあるらしい。俺もそれに納得して、黒子用のチェストも購入した。そこまでする理由は……多分、俺達の関係がそれなりのもので、俺もそれを受け入れている、からだ。
黒子の訪問はいつだって唐突だから、こちらがそれなりの覚悟がないと、すぐに顔に出てしまう。今日はなかなかに隠せたと思う。
「火神君」
後ろから声がして、俺は歩みを緩めて、隣に並ぶ。そっと差し出された手は多分、繋ごう、のサインだ。俺はそうっと周囲を見回して、人気がそんなにない事を確認して、一回り小さいその手をそっと握った。
まだ、こんなコトにも慣れてない自分が恥ずかしいと思う。ステップはほとんど最終段階に来ているというのに、俺は黒子に振り回されてばかりだ。少しくらい、俺だって伝えたい事はあるのに。どうしたら、俺は俺なりの形で伝える事ができるのだろう。
むう、と険しい顔をしていたら、腰にチョップを喰らった。
「嫌な事は嫌だって言うのが、約束でしょう」
眉間に皺を寄せる黒子は、どうやら手を繋ぐ事を俺が嫌がっていると思ったらしい。俺は首を横に振って、繋いでいる手に力を込めた。
「嫌だったら、最初っからこんなことしてねーよ!……ちょっと考え事してただけだっ」
クシャリと柔らかい髪を掻き回して、俺は意地の悪い笑みを浮かべてみせる。
「今夜はどうやったら主導権取ってやろーかなってさ!!」
「……良いですね。そこまで言うなら、今日は火神君が嫌というまで啼かせてあげましょう」
フワ、と黒い笑みを浮かべる黒子に、やり過ぎたかと思いながら、先へ進もうとすると、繋いでいた手が引力に従って、歩みを止めさせる。
「ちょっとここ、寄っても良いですか」
指で示されたのは、小さなケーキ屋。突飛な提案に俺は首を傾げながらも、黒子の後を付いて行く。
「あの……予約をしていた、黒子ですが」
ひょっこりと現れた黒子に驚く店員の姿に、俺は内心苦笑しながら黒子の先程の言葉を反芻する。今日は何かあっただろうか。
黒子は記念日やイベントごとに、かなりこだわる。1ヶ月記念だから、とか、初めて名前を呼んでくれたから、とか。
うーん、と俺が首を捻っていると、店員が小さなホールケーキにプレートを載せてやってきた。
「…………あ、」
うっかり忘れていた。毎日が駿足の様に駆けていくから、そんなコト、すっかり忘れていた。
「……もしかして、忘れていたんですか?」
「ああ……。つか、お前に教えたっけ?」
「君からちゃんと、聞きました」
「あっそ……」
店員が見せるものを確認する黒子が頷き、ケーキは箱の中へ消えていく。
「僕のお小遣いじゃ、あれくらいのしか買えませんでした」
足りないですよね、と少しだけ哀しげに笑う黒子に、俺は戸惑う。祝ってくれるだけでも嬉しいのに、これでは足りないだろう、なんて。
「これで十分過ぎだよ、バカっ……!!」
「良かったです、安心しました」
フワリと笑う黒子に、顔が熱くなるのを感じる。早く、この店から出て、走って帰ってしまいたい。
黒子がケーキを受け取り、店員の挨拶もそこそこに外へ出る。再び自然に繋がれた手に、俺はどうか鼓動が聞こえないように、とただ願うだけだった。
「改めまして、誕生日おめでとうございます、火神君」
「……どーも」
帰り道が暗くて、良かった。こんな顔、誰にも見せられない。
「ちゃんと、プレゼントもあるんですよ。パンツです」
「そりゃ、どー……パンツ?!」
「声が大きいですよ、火神君」
先程の幸せと、ほんの少しの照れ臭さが吹き飛んでいくくらいに、俺は黒子の瞳を凝視する。もしかしたら、インナーの方じゃなくて、アウターの方かもしれない、なんて自分でも呆れる程の望みを持ちながら、俺はもう一度、確認する。
「店に行ったら、書いてあったんですよ。8月2日はパンツの日だって。だから、火神君に似合う勝負s」
「あああああああああ!!!!それ以上言うな!!!つか、何でサイズ知って……!!」
「見れば分かりますよ」
平然と答える黒子に、俺はガックリと肩を落とす。さっきの感動を返して欲しい。
「とりあえず、今夜はそれ、履いて下さいね?ちゃんと火神君の好きなボクサ」
「だからそれ以上言うなって言ってんだろーがあああ!!!」
家に着いたら、俺は一体どうなってしまうんだろうか。ケーキは、普通に食べさせて欲しい。それだけは逃せない。ケーキがまともな形で出てくる事を願おう、そうしよう。
もうすぐ、最後の曲がり角だ。ここを曲がったら、俺の家があるマンションだ。
「火神君が今日は挑発してくれたので、今夜は頑張ろうと思います」
「そーいうトコで頑張んな!明日朝早いとか言ったの誰だ」
「大丈夫です、そこは抜かりなく」
「何が抜かりないのか、スゲー聞きたくねえんだけど」
「聞きますか?」
「聞かないって言ってんだろ!!」
フフ、と笑う黒子に、頬が熱くなるのは、この際無視しよう。
繋がった手と、小さなバースデーケーキ。それから、プレゼント(中身はあえて考えない事にした)。
「初めて、かもな……」
昔は確かにそんなこともしていた。けど、日本に帰ってきてからは、ずっと独りだったから、そんなもの気にも留めなかった。
でも、こうして祝って、笑ってくれる人が、今は隣にいる。コレがきっと、幸せってヤツなんだろう。
「ふふ、また火神君の『初めて』を貰っちゃいましたね」
ニコニコと笑う黒子に、一回だけ頭に拳を降らせる。調子に乗んな、なんて言ってる自分もまんざらでもない顔をしていそうで、怖い。
「早く、帰んぞ」
「はい」
また、黒子のものが増えていく。この3年間が終わった時、黒子はどんな決断をするんだろうか。もちろん、俺も。
くぅ、と腹の虫が鳴く。身体は、ずっと先の事よりも、今を欲しているようだ。
ま、いっか。
俺はチェーンをまさぐりながら、鍵を取り出す。
未来は、その時になったら、決めれば良い。
「ただいまー!」
「ただいま、で良いですかね」
今は今を、楽しもう。ケーキに乗ったロウソクの炎を吹くなんて、久しぶりだ。ライターなんか、家にあったっけ。
俺は靴を脱ぎ捨てながら、リビングへと足を向けた。
Fin.