賢いというのも、時には邪魔なものだ。
いっその事、何も分からなくなるように瞳を閉ざせば良いのだろうか―?

“絡んだ鎖”

いつだって他人の考えている事は大体分かった。
頭が良いとか、IQが高いからとか、そういうものではなくて、雲の動きで明日の天気を予測するような、もっと感覚的なものでだ。
だから古橋に出逢った時、その感情を置いてきてしまった瞳も、読めないその思考にも驚いたし、惹かれた。
―まるで、人形みたいだな。
操られる事も厭わず、ただ黙々と動くその姿は恐ろしい程に美しいと思った。
自分のモノになったら、彼はどんな風に動いてくれるのだろうか―それ程までに、俺は魅せられていた。
けれど、そんな『人形』にも一瞬だけ人並みの感情が表れる事がある。
微かに、あの瞳の奥でユラリと炎が煌めくのだ。
それはそれは愛しそうに、苦しそうに、アイツを追うその瞳が忘れられない。
『俺は、ただ傍に居られれば良いんだ』
どうして、そんな感情の無い瞳でそんな言葉を言えるんだ。
どうして、そうまでしてアイツの傍に居たいんだ。
俺なら、お前の望むものを全てあげられるというのに―。
「報われないよなぁ…?」
クス、と薄く笑みを浮かべて花宮は足を組んだ。
「お前も、古橋も…よくもまあ飽きずに」
馬鹿なんじゃない?と俺の髪を弄びながらこちらを見つめ返すその表情はまさに獲物を狙う毒蜘蛛のそれだ。
手をこまねいて俺達が堕ちてくるのを見て愉しんでいる。
「花宮…お前は、どう思っているんだ?」
分かっているはずなのに、聞かずにはいられない。
俺が望むような答えが返ってくる訳が無いというのに。
「…そうだね、俺は…愛してるよ、古橋も健太郎の事もね」
「花み「なんて、言うと思ったのか?キモいんだよ、お前ら」
―そうだ、花宮はこういう人間なのだ。
甘い言葉で人を惑わし、それがただの夢想である事を知らしめるように一気に蹴り落とす。
そうやって壊れていった人間を何にも見てきたというのに、俺達もまたその罠に絡め取られている。
「愛だの恋だの、所詮は幻なんだよ…お前らはそれを分かっているのに盲目になって…結局は何も掴めぬまま溺れ死ぬっていうのに」
無様だな、と俺の前髪を掴んで嘲笑うその瞳にはどこか古橋に似たものが隠れているように見えた。
―お前も、溺れ死ぬ一人なのか。
堕ちていく人間を見続けた彼もまた、それまでの者達と同じ様に堕ちていくのか。
彼も愛を知った哀れな人間に過ぎなかった。
「…お前の事なら、何だって分かるというのに」
「ふはっ、よくそんな事が言えたもんだ…なら、その『素晴らしい読み』で古橋に伝えてあげれば良いじゃないか―諦めろ、お前の事なんかこれっぽちも見てない、ってね」
傑作だ、と笑う花宮の表情の方が傑作だ。
愛する者に愛されなかった辛さを一番理解している花宮が、愛さないと言う。
滑稽で、醜い愛の連鎖。
愛されているはずなのに、愛せない。
愛しているはずなのに、愛されない。
酷く絡まってしまった糸はもう二度と直す事が出来ないように、俺達もまた、戻れない所まで来てしまったのかもしれない。
「俺も、お前も、アイツも…もう、逃げられないよ」
精々足掻いて苦しめば良いさ、と一瞥して去り行く花宮の姿をボンヤリと瞳に映しながら、俺はゆっくりと瞼を閉じた。
他人の感情なんか分かったって、何も変わらないよ―。
いつか彼が羨ましそうに呟いた一言を思い出し、俺は自嘲気味に唇を歪めた。
明日の天気が分かった所で、その天気を変える事なんか一生出来る筈はないんだから。
『他人の気持ちが分かったら、もう辛い思いなんてしなくて済むのにな』
あの時見せた瞳は今、何を映しているんだろう―?
アイツをひたすら待ち続ける『人形』に思いを馳せながら、俺は今度こそ思考を暗闇に沈めた。

Fin.