何目先の未来を見据えて

パチリ、と駒を置く音だけが室内に響く。
さあ、と言わんばかりに配置された駒を上から順にザッと見つめる。
どこに置いても、彼の手中で弄ばれているような気分に陥るのはきっと、この場が完全に彼の支配下に置かれているからに他ならない。
フム、と眼鏡を押し上げて思案する。
「10秒」
彼の口から、時を刻まれていく。俺は考えあぐねた結果、一つの駒を動かす。これもどうせ、彼の攻略パターンの1つに入っているに違いない。これならば、数目先くらいは延ばせるだろう。
「……ねえ」
駒を一つ一つ舐め回す様に見てから、こちらへちらりと視線を寄越す。
彼はいつだって自己流のルールを作って、わざと自分が不利な状態から始める。今回は王手直前の形態、かつ俺には金、銀の捨て駒を与える、というものだった。勿論、彼には制限時間が正式なルールと同様課せられているが、俺は無制限だ。先程のカウントも、あくまで形式に倣って告げられていただけだ。
「緑間」
返事をしない俺に苛立ちを覚えたのか、片眉を吊り上げている。
「何なのだよ」
返事をするまでこのやりとりが繰り返される事が分かっていたから、俺はゆっくりと口を開いた。
パチリ。また一つ、駒が動く。未だに俺が有利な状況は変わっていない筈なのに、逃げ道を奪われていくような錯覚さえ感じる。
「緑間は、対戦する時に……どこまで、考える?」
彼は時々、突拍子もなく問いを投げかけてくる。それは容易く答えられるものから、言葉に詰まる様なものまで、本当に多種多様である。つい、この間投げかけられた質問など、「緑間は、兎が月に居るって信じている方?」だった。くだらなすぎる質問だと一蹴するのは簡単だったが、彼の言葉の裏にはいつも何らかの思惑が隠れている事が多いから、仕方なく答えてやったのを覚えている。
とにかく、そんな彼の不思議な問答で一貫している事と言えば、「彼は返答を真に望んでいる」所だろうか。くだらない質問でも、答えてくれるまでその質問をずっと続ける。それが喩え、「君の血液型は何型?」なんていうものであったとしても、だ。
俺は少しだけ考えて、肩を竦めながら出来る限りの所まで、と答えた。
「緑間の出来る限りって、どれくらい?」
「……それはお前が一番知っているだろう」
彼とは何局も対戦した事がある。盤はその時の彼の気分次第でチェスから将棋、囲碁、ブラックジャック……と彼の気分を表すかの様にクルクルと変化していたが。
「……そうじゃなくて、バスケだよ。バスケ。緑間は仮にだ、試合でこのような戦局におかれたのなら、どうする?」
「今日はやけに突飛な問いをするんだな、赤司……」
「そう?いつもこんな感じだと思うけど」
彼の言葉に辟易しながらも、俺はもう一度盤を見渡す。ここには実際の試合よりも多くの駒があり、予備がいる。そして、何よりも肝心のバスケットゴールが、無い。想像し難いものだ、と思う。
コツ、コツ、と右手の指で盤を叩く。これが、試合を俯瞰したものだと仮定するのなら―。
「俺は、ブザービートを決めるまでの事を想定する」
俺の手で、相手の反撃の一切を断ち切って、終わらせてみせる。
パチリ。
「王手、か」
彼がフ、と顔を緩める。王手を指しても尚、こちらが不利に思えてくるのは何故なのだろう。
ス、と動きに無駄を感じさせない指先が、駒を取り、動かしていく。
「俺は、次の試合の日程……いや、全中決勝戦の後の進路まで考えているよ」
パチリ。
「……さあ、これならどうかな?」
王手を指した駒は彼の手によって取り除かれ、彼のパターンの一つである布陣が完成する。このまま進んでいけば、何の手を選んだとしても、彼が勝つ。
「また、投了か……」
ハア、と吐き出した息は、重力に逆らわずに落ちていく。この零した息は、俺達とこれから対戦する者達のそれと、同じになるのだろう。
「今日は、なかなか粘った方じゃないか?いや、オレが遊び過ぎたのか……」
窓が開かれ、一陣の風が部屋の空気を一新させる。
「お前の眼には、一体どこまで見えているのだよ」
俺にしては、珍しく真直ぐな問いだった。自然と口から零れた、という方が正しいのかもしれない。
その両目で見つめる世界に、俺は入っているのだろうか。
「そりゃあ、勿論、オレの命が尽き果てるまでさ」
ニコリ、と笑った彼の表情は逆光で影に覆われていて、果たしてそれが真実なのかどうか聞く術は無かった。
Fin.